空想のスケッチ集


by hisui24k
わたしは五歳で魔女と呼ばれた

わたしの肌は無傷にして
のどからわらいが溢れだす
血の味は わたしには甘い
たとえわたしの血であっても

かける岩場のさむざむし
風よ吹け 嵐よ来い

白痴、不具、癲狂

うたをうたえば
夜をたちまちひからせるもの

わたしはお前の言葉でかたらない
お前はわたしの言葉がわからない

お前たちの礫が降り注ぐたびに
わたしの中からわいてくる
これがさけび
これがわらい
これがうた

けれども
わたしを殺戮するあまたの礫を
わたしは呑み込み 変容する
お前の言葉をもはや敵語とは呼ばない

きれいはきたない きたないはきれい
かきみだされるその大鍋は

わたしは男のように語る女のように語り女のように語る男のように語るだろうそしてまた女の言葉で語る女にして男の言葉で語る男になるだろう

風よ吹け 嵐よ来い
わたしは魔女
五歳で魔女と呼ばれた子供
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# by hisui24k | 2014-01-04 10:50 |

鑑賞なのか何なのか

既存の短歌から、物語を読み取るならどのようなものになるか、というコンセプトで二首。
詠まれた文脈を意識するのも、無視するのも、作品と相対する以上は自由だと思っています。

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# by hisui24k | 2012-03-22 19:09 | 短歌

短歌について

文芸のジャンルの中でも短歌は、残念ながら昨今では主流とは言い難い位置づけにある。
短歌の前身である和歌ならば、「百人一首」や「古今和歌集」のうち数首を必ず古文の授業で扱うことになる。また、現代文の教科書にも有名な歌人や、短歌の取り上げられているページはあったはずだ。新聞を購読しているのなら、定期的に投稿された短歌を集めた記事が掲載されるのを目にしたことがあるだろう。
けれどもそれらのものが私たちにとって身近であるか、と問われればそうではない。
昔の人にとって歌とは日記や手紙のようなものだった、という知識はあるものの、それ以上に踏み込んで現在出版されている歌集を手にしたり、自ら歌を詠んだりしようとする人口は、小説や詩、または川柳に比べれば現代において非常に少ないような気がしてならない。
そこには、短歌の世界には厳然たるルールというものがあって、それを理解できないならば手を出すべきではない、というタブー感覚が無意識のうちに生まれているからではないか。私見ではあるが、初心者が足を踏み入れるのに躊躇うほどのルールならば、捨ててしまっても惜しくはない。伝統というルールに縛られて新陳代謝が機能しなくなれば、そのジャンルは衰退していくのみである。
短歌の基本となるのは、五七五七七の三十一文字であること。たったのこれだけだ。総文字数は字余り・字足らずによって変動することもある。俳句のような季語は必要としない。文語である必然性もない。そしてまた、歌の主人公が詠み手自身でなくとも、別に構わないのだと私は思っている。
たった三十一文字の歌を起点として無数の物語が広がりうる、それこそが短歌の魅力なのではないだろうか。
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# by hisui24k | 2012-03-09 16:05 | 短歌

掌編集(その1)

ツィッターに投稿した、140文字にも満たない諸々。

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# by hisui24k | 2012-01-21 02:50 | 小説